風邪の経過・・・

風邪を・・・経過しつつあります。。

先週から喉がイガイガして、横になると咳が出るような状態。

何となく鼻から頭にかけてぼんやりとしたものがくっついて回る、いわゆる「風邪」。

足湯をしたりしてやり過ごしていたのですが、とうとう「何もしたくない」というところまで行ってしまい、夫にも迷惑をかけまくり、自力でどうにもならない状況にまで放置してしまった。

体が偏っているので意識も散漫。誤ってハサミを親指の付け根に深く刺してしまったり、お恥ずかしい限り。散々な状態を見かねてセンセイが体を観てくれました。

まず後ろ向きで立ち背中を観ます。

セ「今どんな風に感じてますか?」

私「肩甲骨から肩にかけて一枚何かがかぶさってる感じ。肩が動かない」

セ「腰は?」

私「・・・(感覚が)ない。。」

セ「そうだよー。今まさに言おうとしてたことだよ。腰がない。」

「日本人は昔、腰で物事を捉えて(から)考えていたんだよ。西洋の人は肩とか胸で考えていた。

今の日本人は中途半端でどちらもうまく使えていないから、鬱になったりキレたりする。」

正座に始まり、かつての日本人の身体文化は本当に素晴らしいものだったとセンセイは言う。

数十年前まで腰肚を使いこなしていた人たちが此処彼処に歩いていたんだと思うと、本当に日本人は他に類を見ない、すごい文化を持った素晴らしい民族だったと思うよ、と。

私は野口整体を知るまで、日本の文化はすごいと言うのが何だか嫌いだった。どこの国にも素晴らしい文化があるし、日本だけが特別すごいことではないと思うから。

それは恥ずかしながら、日本文化を理解できていないし、知らなかったということでもある。

禅のことも、美についても何一つきちんと理解できていなかった。

まだ語れるほどでもないし、その入り口に立ったばかりだけど、整体というところからそれを知ることになるとは思ってもみなかった。

体を通して見える美というものがあることにも気づいた。見えるというか、感じると言うべきか。

美というと、わかりやすく言えば華やかさだったり、老いと相反するものだったりがちやほやされるけれど、そうではなく佇まいや静けさ、思いやり。その他にも人が生活する中で感じ取れる美というものを、体が整っていることで受け取ることができる。

そういうことを忘れて生活していると、余裕がないし、時間もない。心もない。いろんなことが抜け落ちて、いつのまにか何のために日々過ごしているのかさえ見失ってしまう。そんなことを操法を受けてからぼんやり思った。

忙しさにかまけて、自分の中心までなくしてしまっていたなと目が開いた。

体が偏ると怪我をしたり調子を崩しやすい。放っておくと知らない間に病気が育っているということだってある。

ではどうして偏るのか。それは細やかさが足りないからだ。

まだまだ自分の体をうまく使いこなすことができない。それは頭と体。自分と体、心と体が別のものだと思っているということでもある。

今回も勉強になった。

 

あ、あと。目を使うと咳が残ります。スマホやPCの画面を見る時間を極力少なくすると、咳が止まらない人には良いかと。