癌の原因

父が癌になった。

およそ一年半ほど前、12時間にもおよぶ大手術によって命をつなぎとめることはできた。

だけど、正直なところ

こんなふうに生きるというのは果たして幸せと言えるのか?と考えてしまうような生活が続いている。

父は声をなくし、鼻と口で息をすることがなくなった。

首もとに呼吸するための穴があり、風呂に肩までつかることができない。

咽頭の周りにあるリンパへの転移を避けるため首の脂肪をごっそりとった。

その弊害として、常時肩に耐え難い緊張が残り、強い圧迫感を感じ、いつも不快感を抱えている。

手術して終わりという願いもむなしく再発し、半月前から抗がん剤投与が始まった。

父はなんというか、昭和の男だ。

常識的な人間で、科学や国を固く信じて疑わない。

先祖供養のような行事に参加はするけど、宗教的なことには一切興味がない。

一家の大黒柱として家族のために働き、仕事にも誇りを持って全力でがんばってきた。

厳格そのものという感じの父に小さい頃はよく叱られたし、わたしがやりたいということは大抵反対するので大嫌いだった。

父は仕事で家を空けることが多かったけど

いなければ寂しいし、いる時は恐怖を感じつつ…

愛情を持って育ててもらったと今は思う。

そんな、世間の常識や倫理観に忠実な父の影をわたしは生きてきた。

常識を疑い、本当にそうだろうか?と

自分の中で腑に落ちたものでないと信用しない。

親の生きられなかった部分を子供が担うというのは

心理学の世界ではよく見る構図で、

良くも悪くもその人の人生を知らず知らずのうちに形作っていく。

わたしも例に漏れず、父への反発によって自覚がないまま、人生が方向付けられてきたように思う。

わたしが若い頃はとにかく対立した。

父にとっては自分の常識を超えて生きるわたしの考えが理解し難いものだっただろうし

反面、その自由さが羨ましくもあったようだ。

歳を取るにつれてだんだんと父の威厳も小さくなっていき

今回の大病でガラリと父の様子が変わってしまった。

病に苦しむ中でつぶやいた父の一言がわたしの中で留まり続けている。

「何にも悪いことをしてないのになんで自分が、と正直思った」

というのだ。

わたしは胸が締め付けられる思いがした。

父は癌になったことで自分の信じてきたことと

現実に起こっていることのつじつまが合わないことに少なからず絶望している。

「何も悪いことをしてないのに」と癌に対して思う。

父は自分がなぜ癌になったのかという原因を探しているのだ。

だけど、残念ながら父が求めている答えを科学は教えてくれない。

医療を信じていても納得はしていないのだ。

わたしはこの心の底から絞り出したような疑問にこそ

真実がある気がしている。

父は真相を知りたいけど、

今まで過ごしてきた中で出来上がった常識や固定観念が邪魔をして

その答えにたどり着けないで苦しんでいるように思えてならない。

何らかの原因で

またはタバコや酒などの生活習慣によって癌になった

という科学の答えはとても曖昧なのに、父の中では絶対だ。

だけど心の底では自分の行いの何が悪かった?という

言ってみれば宗教的なところとつながっている。

「何らか」の原因が知りたいのに

科学はそれを導き出すことはできない。

それは科学が対象としているものが「人体」だからだ。

人はものではない。

常に流動的に内と外と繋がって動いている。

この素朴で切実な疑問を常に裡に問い

自分の身体にすべての責任と信頼を持って悔いのない人生を生きる

ということが全生という生き方であり

整体法だとわたしは思う。

野口先生は生前、

整体法を生きることを常識との戦いだったと言っていたそうで。

「人の口から出る言葉に動いている人はいつも人の眼の為にのみ行動し、自分の真心からの動きを失います。」

とも述べられている。

常識はある意味便利な考え方だし

必要な共通認識ではあるけれども

感じたことを自分の外に追いやってしまう。

そうやって自分の「生」を他人の価値観に預けてしまっていないだろうか。

父の「何で自分が?」という問いは真心の現れだとわたしは思う。

そして父は、癌のような大病と言われるものに大きく揺さぶられることによって

自我の喪失を体験している。

もっと言えば、大病にでもならなければ

揺さぶられることはなかった。

自我と自己の間でフラフラになっている父を見るのは辛いけれど

不思議と生きているという実態が見えるようにも思う。

この揺れこそ自分の真相から投げかけられる問いかけだし

自我の喪失と再構築こそが病(自己)の目的なのだろう。

自分の中から病が生まれたというところから目を背けていては

「それ」に気づく前に体が壊れてしまう。

病も自分の一部なのだから。

人生が強制終了となる前に

自分は何なのかということがわかるだろうか。

父は迷っているけれども、ちゃんと生きている。