整体的視点 野口整体にまつわる日常の記録

治すと治るは違う

治すと治るは違う
治すことは治ることを促さない
治すことは治療ではない
治すことは治るを妨げる

治療行為の目的は疾病を治癒させることにあるのではない
健康を維持することにその目的をおく可きだ
病気は治った しかし人は死んだというのは 治療の目的を誤っているからに他ならぬ

病気は部分の変常に対する全体の調整作用である 病気は治さねば治らぬものではない いつも自ずから治る方向に歩んでいる 部分の変常に対する全体の治る方向への歩みを 人は病気といっているのだ

病気そのものが治療だ
病気は安全弁だ
蛇の脱皮 蚕の眠りに等しきものだ

治療は全体を治めることであって 部分の修理ではない

野口先生の言葉です。(本当はもっと長い文章)

ここ数ヶ月、やっと病気や湿疹などに対しての変な不安がなくなってきた。体や命の働きに対する信頼が育ってきたというか。

例えば最近でいうと、息子の耳切れ。 右耳→両耳→左耳といった感じで耳から血や浸出液が出ていてときどき掻きむしっているときもあり、、

見た目が辛そうだから、ちょっとかわいそうだな とも思ったけど、本人はそれが四六時中気になって機嫌が悪いというふうでもなかったし放っておいた。

結果、数週間くらい経ったかな。ほとんどきれいになっています。 (ときどきぐずっとぶり返すときもあるけど、数日で消える)

こういうとき、不安になって病院に行くと「アトピーかもしれませんね」とかいろいろ病名を告げられて おくすり が処方されるんだろうな。

センセイも「こういうとき薬塗ると さーっとキレイになるんだろうね」と言うけれど。。わたしもアトピーで苦しんだから薬の可否についてはいろいろ考えてはきた。

薬を塗って「治す」ということはどういうことなんだろう。

どうしてこういう症状が出るんだろう。

体から出ているものや症状は必要があって出ているわけで、そうすることで体は必要なところを調整しているのに、それを薬でショートカットしてしまったら、その作業は止まってしまう。(『風邪の効用』でも経過について書かれています)

上の引用で言うと、人為的に「治す」という行為は部分の修理にあたるもので、本来の治療の方向性とは違う。現代では部分の修理が当然のようになってしまっているけれど・・・

センセイは「体に同じものは必要ないからね」と時々言う。

アトピーで悪者にされているステロイドだってどうしてダメなのか。

それは、本来体に備わっている副腎皮質ホルモンを外から与えることで体内にあるものが機能しなくなってしまうから。

リバウンドも体がそれを取り戻そうとして起こる自然な調整作用。

風邪もゆるんで熱を出して調整するし(緊張していると風邪は"ひけない")、咳も固くなった背骨に柔軟性を取り戻そうとしてする。高熱は、熱でウィルスなどを消毒したり。よくできているなぁ、と本当に思う。

いま思い出したけど、野口整体を始めてから半年〜1年くらい経った頃だったかひどい下痢をしたことがあったっけ。 あとから思えばこれはたぶん排泄反応だったんだと思う。(反応には三段階ある 『整体入門』 p65)

あんまりひどかったから、そのときは何かの病気なんじゃないかと不安になったけど、隣りで見ていたセンセイは ひとこと

「出てよかったね」

そっか。 下痢をしていなかったらきっと出すべきものは長い間お腹の中にあるってことだし。。これいらない!って体が調整してたんだ。

体はいちいち考えたりしないで、息をして働いているのだから余計な心配しないで、だたそのまま任せるだけだなー。と思ったのでした。

「治す」ではなく 「治った」あとの、 きちんと経過した体はさっぱりしていて気分のいいものです。