整体的視点 野口整体にまつわる日常の記録

野口整体ってどんなことをするの?

野口整体で検索すると
どんなことをするのでしょう。という質問があったので
私なりに考えたことを。

と言ってもすごく難しい!

表面的に何をやるかと言えば
体を観てもらい、
愉気(手を当てる)
活元運動の誘導
操法・・・

ってあげてみたけど
知らない人にとってはちんぷんかんぷんな言葉ばかり。

手を当てて治るの?とか疑問に思う人もいるだろう。

だから、少しずつここで日々の気づきを綴って
私自身理解を深めると共に
どんなことをやるのか書いていきたいなと思っているのだけど

最近特に思うことが。

それは・・・
言葉の共通理解がないと
全然真相が見えてこない(→手応えがない、つまらない。もったいない!!)
ということ。

野口先生の教え、思想を
自分がちゃんと理解していますっ!! と
胸をはって言えるかというと・・自信もないけど

この世界を知って、指導を受けていくなかで
なんども、ああそういうことだったのか。
そういうことを言っていたのか。と思うことばかりで。

ものの見え方が全く違っていってるのです。

だから、「健康」とか「治る」という言葉の
共通理解を持つということが
第一段階としてとても大事だなと。

例えば
健康とはどんな状態を言うのでしょう。

「病気ではないこと」という人もいれば
「よく食べて体がよく動くこと」という人もいるでしょう。

ちなみに、WHOでは以下のように定義しています。

健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。

これが間違っているとか正しいとかではなく
そうだな、と思う。

そして、野口整体では肉体的とか精神的とか分けることなく
すべてをまるっと見ています。

心と体はひとつ とか、繋がっている
というのはよく聞くフレーズだと思うのですが
本当に実感している人はどのくらいいるだろう?

繋がっていると言うより一緒と言うべきか。

病気は「体に」問題があるという状態を指すだけで
例えば自分が何かの病気になったとしても
病気が辛い(困る)だけで
精神的にはそんなに問題はない
と思う人が多いのではないだろうか。

(よく、突然病が発覚したとか。聞きますよね?・_・)

この場合、体と自分(心)を別のものとして扱っています。

じゃあ、その病気(あるいは痛み)はどうして現れたのか。

タバコを吸いすぎたから?
不摂生が続いたから?
飲みすぎるから?
仕事でストレスが溜まったから?
とかなんとか、いろいろと思い当たることは出てくると思います。

じゃあ、タバコを吸いたくなっちゃう自分の心境って?
何か甘いものばかり食べたくなってしまうのはなぜ?
お酒飲んで何か忘れたいことがあったり?
めっちゃ腹たったけど、やり場のない怒りがぐるぐるぐるぐる・・・

特にストレス性ナントカという病名の場合は
病気が突然降りかかる不幸とかではないってことは
なんとなく想像できます。
病気になってしまうような生活、考え方があるわけで。

そうかと言って、 同じ状況でも病気にならない人もいるわけで。

タバコも肉も好きなだけ食べて長生きの人
人生を謳歌している人、いますよね?

タバコ吸って肺がんになる人ならない人
すごい食べても太る人太らない人
同じ条件でも違う場合がある。

風邪ひとつとっても
同じ家で生活していて
うつるとき、うつらないとき、毎回違います。

風邪となると
それは免疫力が弱っていたからうつったわけですけど

じゃあその免疫力はなんで弱っていたのか。
風邪をもらうような状態ってどんな自分??

結局、病気になる原因は自分の側にある。
そんな風に最近は考えるようになりました。

病気を通して自分を省みるというか。。

病気になる前に
自分のことがちゃんと見えていれば問題ないのですけど
なかなかそんな風にも行かず。

だけど、いつもどんな自分があるのか?

整体の指導はそういう
自分を見つめる作業を手助けしてくれる場なのです。

背骨を観てもらうと、様々な感情がそこには現れているそうで。
骨の突起で観るようなのですが
毎回自分が忘れていたような些細な不快感情を指摘されます。

そんなことが体に影響するの?と疑いたくなるような
小さいことなのですが、
そうやって見過ごして、なかったことのように
奥の方に忘れられた感情でも
積もり積もって体に蓄積されている。

そしてそれは確実に体に影響を与えているのです。

野口整体で体(=心)を観るとは
自分と丁寧に向きあうためのもので
それによって自分がどうありたいのかを考える
きっかけを与えてくれるものだと
私は理解しています。