センセイが、あることがきっかけで 昔流行った曲を思い出し、ずっとリピートして聴いています。。 私はあまり好きなアーティストではないので なんでイヤなの?という話になり。
もう遠い昔・・・ 私は、超がつくほど難関な大学への入学を勝ち取ったのですが (この勝ち取ったという表現は捻れ型) 見事に2浪しています。
負けず嫌い、執念の捻れ型体癖がここで見えますが 今回はそこではなく。
その浪人していた頃によくかかっていた曲がそれで、 なんだかそのメロディーを聴くと 妙に切ない記憶がよみがえるので ちょっと見えないところに追いやりたい気持ちになるのです。
センセイとの会話は続きます。
その分野では大学合格に向けて、結構な人が浪人を経験しますが ほとんどの人が受かるまで、予備校を変えるということはせず受験に励む世界です。 予備校が高校のような、ホームグラウンドのような感じ。
ですが私は、現役1浪とお世話になった予備校を 「もうここにいては受からない」と判断し、しれっと予備校を変えた。 仲の良かった友達も、私の決断を聞いた時はなんとなく一瞬固まっていたような・・・
そして翌年、移った先で黙々とがんばって 晴れて大学生になることができました。
センセイは 「あなたは5種だから予備校変えられたんだよ」
あー、そうかぁ。 なんだ。 そういうことだったのかぁ。。
5種体癖は合理主義。 無駄が嫌いです。 ちょっと冷淡さも垣間見えるような。。
自分がとったあの時の選択を さも武勇伝のように誇らしく思っていたけど なぜかしぼみました。。 しぼむ必要もないんだけど...
このとき、 利害得失の5種と、勝ち負けの世界に生きる捻れ型の複合体癖の私は 手段が目的になってしまう可能性もあったわけで。 (大学合格よりも、予備校を変えないことにこだわり、そこで粘ってやることに執着する)
でもその執着を掴まずに 全体性の中でどうあるべきかを冷静に見つめることができた。
だって大学受からないと始まらないじゃん、 義理で予備校にいてどうすんの?という合理主義(5種体癖)の発想の方が 捻れ型よりも優位になり 体癖の良い部分を活かせたということ。
今となってはあの大学に受からなかったら それはそれでもっといろんな道もあったなぁとも思うけど
私はあの時、とにかくその大学に行きたかった。 それしか見えなかったし 合格を勝ち取りたかった。(捻れだね、ホント) そのために、最短距離の道を合理的に考えた。2浪したけど。。
センセイは 体癖というのはとっさの判断の時出るという。
決断や考えは頭の中で行われていると思いがちなのだけど いざというときの判断は体が下すと思っていい。
その逆で 迷いは常に頭で考えている時に出てくるもので しかも答えが出ないことが多い。
私が仮にあの時、執着の方に傾いて 予備校を変えずにがんばっていたら・・・
あっちの予備校に行っていたら受かるかな というような浮気心を捨てられないまま モヤモヤとした考えが頭をぐるぐる回るだけで 勉強にも集中できず合格もできなかっただろう。
捻れ型の考えが悪いというわけではなくて この場合は捻れ型の悪い面が執着という形で出て、 前後型の良い面が合理的な判断力という形で出ているという話です。
体から出た判断に迷いはなく もし仮に道が間違ったとしても後悔はない。 むしろただでは転ばないような 逆境に強い柔軟な精神が持てる。
頭だけで計算して出した判断からは こういう展開は期待できない。
少なくとも私が今まで経験してきた中では、 こういうときに頭で考えていると 「あの時あっちを選んでいれば」とか 「あれがいけなかったのか」とか 取り返せない事をずっと、ああでもないこうでもないと ぐるぐるを続けるだけだった。
その人がその人らしいやり方で うまく道を切り開いていくために自分(=体)を知り 使いこなしていくということが これからはもっと重要になってくると思う。
それをわかりやすく教えてくれているものが 体癖なんではないかと。
これは今までの学校教育でやってきた 「頭で考えたり本を読んで得る知識の勉強」や「ググって得た答え」とは違う、 自分で感じて、実際にやってみないとわからない世界。
野口整体で私がすごいと感じるところはいつも 言葉になる以前の「感覚」の部分で 説明するのに苦戦して時間が過ぎてしまう。。
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