整体的視点 野口整体にまつわる日常の記録

はじめに

せい氣院(センセイ=夫)のweb担当をしています。

野口整体を知ったのが十数年前。

同世代の友人たちと比べると、健康への関心は比較的早く芽生えたような気がします。

30歳手前で昼夜逆転、毎日外食のような働き方から抜け出し、菜食をはじめ(7〜8年続け、今は雑食)、精神世界の本を読み、バックパックで海外旅行に出かけるなど、あてもなくその時々で興味のあることをやるというような日々をダラダラと過ごし・・・

見えないけれども確実に自分を動かしている「心や感情」の核心に迫りたいという思いから、スピリチュアルな世界にどっぷりハマり・・・結構散財もしました。

そしておなかがいっぱいになって元(?)の世界へ戻ってきた頃、怪我をして個人指導を受けることに。

体から自分の心のささくれのような部分を読み解いていく時間は、それまで答えを求めても実を得られず手応えの無さに落胆していた私にとって、とても興味深く、新鮮なものでした。

体(=心)という新しい視点を持って、また別の、地に足がついた世界が見えたように思います。

歳を重ねるとさまざまな出会いや別れがあり、本当に自分の人生はこれで良いのだろうか。という迷いも顔を出し、消えてはまた悩み・・・

健康に不安も出てきたりします。私も例にもれず病気は怖い。でも野口整体を知ってからは病気の中に良さも見出せるようになりました。「畏れる」と言った方が合っているかもしれません。

父の闘病生活を傍から見て、病気という症状、状態のことを「どう捉えたらいいのか」ということを自分としても喫緊に取り組まなければならない問題だと、焦燥感を持って考えるようになりました。

これがいわゆる終活とでもいうのでしょうか。年齢の割には早い気もしますが、今の生活をなんとなく過ごすということ(気持ちの上で)がいつの間にかできなくなってしまいました。

父の感じていたであろう絶望と恐怖が痛いほどわかるからこそ、その問題に光を当てて自分の生活に生かしていきたい。

誰にでも何かしら悩みはあって、苦しいけれど、苦しみ方は変えていくことができる。

夫であるセンセイは以前悩みを抱えている知人に対して
「人が生活していく中で苦しいと感じることは多分ずっとあるだろうけど、成長に伴ってその苦しみ方が変わる必要はあるかもしれないね、」と言いました。

苦しみから解放されたい、澄み切った青空のような晴れ晴れした気持ちで生活したい。と多くの人が期待すると思うのですが、実際はそんな時もあり、そうでない時もある。そんな行ったり来たりの情景があるからこそ、どちらも活きてくるのではないかな、と思ったり・・・

その中で螺旋を描くように何かが積み上がって、気がついたら違う景色が見えたりするのだと感じます。

整体からこのような話が出てくるなんて、10年前の私には考えられなかったことです。

俗に言う「整体」という言葉はこの世に生まれ出た時から比べてかなり遠い意味を持つようになってしまったように見えますが、私も含めて生きづらさや違和感を抱える人に響くものがこの中に隠れているように思えてなりません。

亀のような歩みではありますが、今はこのあたりにて・・