整体的視点 野口整体にまつわる日常の記録

自分を生きる

今日は。というか、最近肌の調子がいいです。 ここ数日、やりたいことがたくさんありすぎて 寝不足気味なのになぜ??

それはやっぱり・・・ ・・・

自発的に動いているから。

これだけの仕事をしたら疲れると思っている人は 疲れる
到底自分には出来ないと考えたことは 出来ない
相当骨をおらねば難しい と思った人は 相当骨をおらねば難しい
しかし一心にやりたいと思い込んでやって行く人は すらすら成し得る

やれると信じている人は 戸惑う
体力が出来たらこういうことをすると考えている人は 何時になってもやれない
自らやり得ると確信して行う人は 失敗する
やらねばならぬと思い込んでいる人は 焦り 挫折する
ただ 一心に こういうことをやるんだ と行動している人は 体力が湧いてくる

人生というものはそういうものだ 人間というものはそう出来ている

やらんと欲する人には 為し得ず やれると信じている人は しくじる ただ やって行く人は 力が湧いて そのことが出来る
客観性に心が執着すると力は湧かない 何時になってもやれない
主観性に心が偏れば いつかはしくじる
その客観性を確立し それを乗り越えた人だけに行える

裡の要求に素直な人は いつも疲れない 力は裡にある いくらでも 使う程 増えて強くなる 使わないと 錆び付いて消失してしまう
思い切って使うことだ

病気が治ったら こうする と言っている人は 病気が治っても なにも出来ない こうするんだ と立ち上がった人は 病気がなくなってしまう
いつも用心している人は いつか用心の為 自分を損なう 自分の力を 萎縮させている これは食べられるかしら とか 自分の胃でこなせるだろうか と考えている人は何時になっても食べられないし 食べれば体を傷つけてしまう
同じ体の人でも そういうことを考えねば こなしてゆける

自分の裡なる力を 振作する心の使い方は いつも人間を元気にし 無限の力と結ばせる
生きている人間の裡の力は 無限なるものに連って 使って減るということはない

(語録より)太字は筆者

信じることの背景には 不安や、 そうあって欲しい(そうならないで欲しい)という希望 があります。

もうなりふり構わず、やってしまう。 そういう勢いの強さは本当に大きい。

以前、センセイがお世話になっている方にアトピーの相談をしたとき アトピーの人は自分を生きていない というようなことをおっしゃっていた。

自分を生きていない・・・

私は今まで自由にやりたい放題やってきたつもりでいたけど 体はそうではないと最近まで訴えかけていて、

今こうして、やりたいことに没頭する 裡の要求に素直に行動することで はじめて自分を生きるということを理解しはじめています。

ただ一心にやるというのは、 すべて受け入れるということ。

例えば 人からは頑張ったね、大変だったでしょうと言われるようなことも 苦に感じないで、ただやってしまう。

「覚悟を決める」と言うけれど、そんな決心をする前に 飛び込んでしまっているというか。

だから、受け入れるというのは 後から言葉で説明しただけのこと。

なりたい自分がいて、 そうなったらあれをしよう、これをしようというのは なりたい自分と距離がある。

「そうでない自分」から出た行動なんですね。 行動すらしてない状況なのだけど。

頭ではこういうことがわかっていたつもりだったけど わかってなかった。。

人は本当に苦境に立つと 力が湧いてくるのですね。。 私には今、このタイミングでしか 理解できなかったのだと思います。

確信の裏には失敗があるとは。。

まあ、失敗したらまたやり直せばいいのですけどね

この引用には本当にいろんなことが凝縮されていて、 読み返す毎に、気づくことがある。

そのときの自分に反応する部分、 響くところが変わる ということなのだろうけど

野口先生の文章はいつも、 自分の裡の力というものを思い出させてくれる。

使って減るようなことはないのだから、 出し惜しみせず、 からっぽにしてからスカッと眠る。 そしてまたゼロからはじめよう。 と思う今日この頃。